From:吉田幸生
千代田区外神田オフィスより、、、
サラリーマンに『エリート』はいない。
ずっとそう思っています。
この話を奥さんにしたら
「えっ〜そんなことないよー」と反論されてしまいました。(苦笑)
でも持論なので仕方ないです。
今日はあなたにも聞いてもらえればと思います。お付き合いください。
サラリーマンに『エリート』はいない
例えばピアノが上手な子供がいたとしましょう。
この子は、ピアノをずっと続けていって、本人の努力の甲斐あって、さらに上達します。やがて有名なコンクールとかでも優勝したりしたとします。コンクールとかで賞を取るってすごいことですよね?ピアノの上手な人たちのなかから、さらに一握りの優秀な子として選ばれる訳ですから。
周りの大人たちもたぶんこの子の将来に期待します。
そして、実際にこの子が大人になった時、どうなるのかというと、たぶんピアニストを目指すでしょう。そして夢を叶えるか、なれなかったとしてもピアノの先生とか、音楽に関係する仕事につく可能性が高いです。
もしも本人が「もうピアノは嫌いだからやめたい」ってなったらわかりませんが、その時は、大抵周りの大人たちが、必死で止めるはずです。
「もったいないよ」
「諦めないで頑張ろうよ」とか言って励ますでしょう。
だからよほどのことがない限り、その道に進む可能性が高いです。
同じようにサッカーが上手な子供がいたとします。
周りの小学生とか比べても、抜きん出た実力です。サッカーの世界は詳しくないけど、たとえばJリーグチームのジュニアチームにも入って、海外留学も経験したとします。さて、この子は大きくなった時、何になるでしょうか?
そうです。サッカー選手になります。
この子が「もうサッカーはしたくない。だから普通の子になります」と言っても、やはり周りが許してくれません。だから、やっぱりサッカー選手になるか、それに近い道に進む可能性が高いです。
ほかにも、パソコンが大好きな少年がいたとします。
小学生なのにプログラムとか組んじゃってます。私などは、プログラム関係はチンプンカンプンなので、尚更、すごい才能だと感じます。だから、たぶんですけど、この子はプログラマーとかになったり、もしかするとスティーブジョブスみたいにベンチャー企業とか起こしたりするかもしれません。
何もない人はどうする?
でも、世の中、そんな才能豊かな人たちばかりではありません。というか、ほとんどの人は、特別な才能もありません。だから、なにもないまま大人になります。そういう人たちが大人になって何になるのでしょう?
それは「会社員」です。
特別な才能や技術をもった人は、「会社員」になりません。
なんにもないから「会社員」になるのです。
だから「会社員」にはエリートはいない。
というのが私の考え方です。
ただ、受験戦争を勝ち抜いて、国家公務員試験に合格して国を動かすくらいになったら話は別です。
彼らはピアニストになれなかったけど、その分、勉強をするという努力を続けました。
そしてその結果、受験戦争を勝ち抜いて、その後の難関を次々とクリアしました。
ピアニストやサッカー選手になる人たちに比べても遜色ないくらいの時間、勉強を続けた人たちです。
だから「エリート」と呼んでもいいと思います。
でも、普通の会社員レベルで言ったら、やっぱり「エリート」は存在しません。一般企業のなかに「俺はできるやつ」みたいなオーラを出している人が、必ず一人か二人います。けど、正直ドングリの背比べみたいな話です。何を偉そうにしているんだ、と思います。
『エリート』=一流
私がこの考え方に出会ったのは、20歳くらいの時でした。だからなのか、自分に自信を持つということがいまだにできません。憧れはありますが、いまだその領域にはほど遠いところにいる自分を感じます。
もしも「エリート」を一流という言葉に置き換えられるとしたら、どのくらい努力すればいいのか?
よく弁護士試験に受かるには、1万時間が必要だといいます。正確には計れないけど、やはり一流になるためには、それ相応の時間をかけないといけないのは確かでしょう。
経営者が一流になるにも同じです。社長が一流になるために必要な時間は、年間で3200時間。それを3〜5年くらい続けないと結果が出せるようにならないといいますから、一流への道は険しいです。
いまだ道半ばのわたしには、ちょっと気が遠くなりそうなほどの道のりです。(苦笑)